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自律神経調整 メンタルヘルス専門院
肩こり腰痛回復センター

予約の方法
1.当院の電話番号に電話してください。
2.担当の者が「はい、美しが丘整骨院です」と対応いたします。
3.「ホームページを見ました。予約したいのですが」とおっしゃってください。
4.こちらから
①お名前
②ご希望の日時
③ご連絡先(携帯電話など)
④お困りの症状

などをお聞きしますので、よろしくお願いします。
こんな症状の方が
来院されています
首・肩こり、頭痛、寝違え、首の痛み、腰痛、ぎっくり腰、坐骨神経痛、脊柱管狭窄症
手・足のしびれ、痛み、五十肩、肩の痛み、股関節痛・膝の痛み
スポーツ外傷・ひざ成長痛、野球肘・テニス肘、ねんざ・打撲、脱臼・骨折
アレルギー性鼻炎、花粉症、不眠・疲労体質改善、食欲不振・自律神経失調症
吐き気・めまい、生理痛・生理不順
交通事故治療(むちうち)

ごあいさつ

院長 渡邊 英則

平成7年 美しが丘に開業し今年(平成24年)で20年目に突入です。
国家資格を取得してから、20数年になります。
これまでさまざまな患者様に出会い、いろいろな症状を診てきました。
これからも、長年の経験の蓄積を武器に皆様の笑顔のためにがんばります。

あなたがお困りの症状に
東洋医学療法・西洋解剖学両面からアプローチし、
「心地よい治療で、確かな効果」をモットーに治療しております。
院長・女性スタッフともども明るい雰囲気の治療院です。

肩や腰、体の痛みで何か気になる事があればご遠慮なく、まずはお気軽にご相談下さい。

院長 渡邊 英則

院長プロフィール

名 前
渡邊 英則(わたなべ ひでのり)
家 族
妻・娘・息子・ウサギと亀の四人と二匹の家族です。
資 格
あん摩・マッサージ指圧師 鍼灸師 柔道整復師
トータル臨床研究会 北海道支部長
生まれ~少年時代
1963年1月7日 旭川で生まれました。
母の考えから、その頃ではすでに珍しかった自宅での出産で、お産婆さんに取り上げていただきました。
父は、自営業で紳士服の販売をしていて、母も手伝っていました。
両親共働きで、昼間は祖母が僕と妹の子守りに来ていました。
祖母は家の近くで野菜を作っていました。
僕の野菜作り好きは祖母譲りですね。
子供の頃は、近所の友達と野山川沼で遊びまわる元気いっぱいの子供でした。
特に、缶けり遊びや川でのザリガニ取りは大好きでした。
吹奏楽部とサッカー部
中学では、入学式で聴いた「歌劇「イーゴリ公」よりダッタン人の踊り」に衝撃を受け吹奏楽部に入部、トロンボーンを担当。
部員全員で気持ちを一つにして曲を演奏できた時の感動は今も忘れられません。
厚生年金会館でのコンクール出場時の緊張と金賞受賞は、いい思い出です。
高校・短大では、青春ドラマであこがれていたサッカー部に入部。戦績は散々なものでしたが、友情には熱い部で、親友たちとの出会いもあり有意義な5年間でした。
その頃、ケガもよくしてました。
足の指の骨折・ふくらはぎの打撲・肉離れ・足関節捻挫・顎の関節症などなど…
その時に出会ったのが整骨院でした。
ケガをするたびに低周波治療・SSP治療・マッサージなどを受け、たいへんお世話になりました。
火事で全焼
卒業後は、好きだった料理の世界に進み札幌のレストランで3年間働き、調理師免許も取得しました。
ジャガイモ料理レストランで、ポテトサラダ・グラタン・コロッケ・いももち・いも麺パスタ・カレーなどなど、
あらゆるものに「いも」が入っていました。すごい人気店で、毎日忙しかったですね~。
ジャガイモの皮むきなら、今でもけっこう速いですよ。
先輩の皆さんもみんないい人ばかりで、仕事は大変でしたけれど楽しい3年間でした。
が、そんな冬のある夜、火事が発生。夜中ということでみな無事でしたが、レストランは焼失してしまいました。原因は、レストランの裏に有ったほかのお店からのもらい火でした。
新たな道
そのショックとレストランが倒産したことで、旭川に帰り一度改めてこの先の進む道を考えました。
そんな時、中学時代の吹奏楽部の友人にばったり出会い、久しぶりに近況など話しました。
その友人は、医療系の学校に進むために勉強しているとのこと。
医療系か…。そういう道もあるな!心に響くものがありました。
自分がむかしお世話になった整骨院のことを思い出しました。
自分のようにスポーツでケガをした人の手助けができる仕事っていいぞ!、
友人の話をさらに詳しく聞き、またいろいろと専門誌など調べて自分の進む道はこれしかない!と確信、医療の道に進む決心をしました。
牧場で学費
が、学校へ行くための学費を貯めなくてはいけません。
どこかにいい仕事がないかと探していたところ、高校時代のサッカー部の親友から「俺が前に住み込みで働いていた牧場があるぞ。早朝からきつい仕事だけどやってみるか。」との話。
早速、友人から紹介してもらい石狩の牧場に住み込みで働くこととなりました。
朝5時、サイロのてっぺんまでのぼり牛のえさの発酵したデントコーンを掘りだす仕事から始まり、夕方5時まで力仕事、夜7時には寝るという一日。
牛たちの世話ももちろんしましたが、牧草関係の仕事が多かったです。
春は牧草刈取りから乾燥、夏は牧草ロールで収穫、秋は牧草の種蒔きとデントコーンの収穫。冬は、刈り取った牧草を圧縮し製品として競馬場へ出荷などなど。
牛の角を切り落としたり、子牛の出産で子牛の足を引っ張ったりなんてこともやりました。
生まれた後、わらで体を拭いてあげて…子牛ってホントかわいかったですね~。
トラック・ダンプカー・トラクター・フォークリフト・ホイールローダなど乗りこなし、ガテン系の日々でした。
骨折3回 捻挫数知れず
調理師時代よりも体重が10キロ以上落ち、真っ黒でしまった体つきでした。
お蔭様で、学費も貯めることができました。
また、牛に踏まれて足の小指を骨折して整形外科にお世話になったり、腰痛になって整体にお世話になったりと、患者さんの立場になるという勉強までしました。
いざ!東京へ!!
2年間働いた後、東京の専門学校に合格!いざ!牧場から東京へ!!
東京では、人間の多さにまず圧倒されました。なにせ、牛ばかり見ていたわけですから。
満員電車で一時間。180度違う世界でした。
午前は学校で授業を受け、午後は整骨院で現場で勉強させていただきました。
働いていた整骨院は、マッサージ・鍼灸治療を重視していて、その時の経験が今でも生きていると思います。
月一回のセミナーや友人同士での勉強会、他院への見学なども精力的に行いました。
北海道に帰るつもりだったので、東京にいる内に何でも吸収してやるぞという意気込みでした。
また、仕事中にベットから転げ落ち、足の親指を骨折したこともありました。結構、骨折経験多いですね。
骨折・捻挫・挫傷など数多く経験したことで患者さんの感覚が分かるというか、施術を受ける側の気持ちが分かるのだと思います。
波乗りとマラソン
この頃、整骨院の先輩に誘われて、波乗り(ボディボード)やマラソンをやってました。
マラソンは、主にハーフでフルマラソンまでは挑戦できませんでした。
東京近辺のマラソン大会に十数回出場しました。
波乗りの方は、茨城や千葉、湘南方面に行ってましたね。
一度だけ、ハワイのノースショアやダイヤモンドヘッド・アラモアナ・サンディビーチなどで波乗りをやったことがあります。波の高さ・厚みが日本とはけた違いでした~。
非常に貴重な体験でした。
この6年間であん摩・マッサージ・指圧師・鍼灸師・柔道整復師の免許を取得しました。
札幌に戻って開業
6年間の東京時代の後、札幌にもどり整形外科に勤務し、整形外科のリハビリの仕事の勉強をさせていただきました。
リハビリ室の先生には、「目で見ないで、手で見なさい」「休みの日は、人の動き・歩き方を観察しなさい」とよく言われてました。
院長先生・リハビリ室の先生には、今も大変お世話になっております。
1995年、ここ美しが丘で整骨院を開業。
野球・サッカー・柔道・バレーボール・卓球・バドミントン・陸上競技など頑張っている学生さんから、パークゴルフ・ミニバレー・ボーリング・ゴルフ・テニスなどを楽しむ地域の皆さんまで、スポーツで負傷する方たちや、日常生活・仕事で負傷された皆さんに少しでも早く回復していただけるように日夜頑張っています。
開業してからも、年に数回の千葉での整体セミナー・鍼灸セミナー・年12回の整体勉強会・教材本・DVDなどで勉強の日々です。
医療の世界は、非常に奥が深く、勉強すればするほど、難しくまた、本当におもしろいものです。
今の暮らしと、振り返って思うこと
春から秋は野菜作りに精を出し(作り過ぎてあきれられることも)、年中無休でファイターズ・コンサドーレを応援しています!
日曜日にはときどき、料理に腕を振るいます。
妻には、「作ってくれるのはうれしいけど、片づけもしてね」と言われますが…
最近はノルディックウォークに挑戦中です。
こうして振り返ってみると、火事に遭ったり、倒産したり、進む道が見えなくなった時などの人生のターニングポイントで、家族や友人たちに助けられたきたなと、あらためて感謝の気持ちでいっぱいになります。
好きな言葉は「どん底に落ちたら、その底を掘れ!そこには宝が眠っている」です。
学 歴
旭川市立大有小学校(転校)
旭川市立神居小学校(5年生より)卒
旭川市立神居中学校卒
北海道旭川西高等学校卒
専修大学北海道短期大学商科卒
東京医療専門学校本科卒
東京医療専門学校柔道整復科卒
ご予約・お問い合わせは011-886-3183